先月は男性同士の恋愛リアリティーショー『ボーイフレンド』のシーズン2を夢中になって見ていた。Tさんが誰を選ぶのかは私は完全に予想が外れた。だってその直前のデートのとき、選ばれなかった方の人とめちゃくちゃいい雰囲気だったからさあ。私はすべての人間関係をフィクションでしか学んでいないため、表情や雰囲気や好みのタイプなどの細かい機微ではなくわかりやすい筋書きに引っ張られてしまう。
ボーイフレンドは現存する恋リアの中で、実は1番万人受けする作品だと思う。ゲスい覗き見根性的なものを刺激しないように慎重に作られているし、恋愛も描かれるけど、それよりも他者と生きるとはどういうことかがメインで語られているから。

それはさておき、シーズン2はカミングアウトについての真剣な議論が繰り返しなされ、胸を締め付けるようなシーンもカメラに収めされていた。そんな中、親へのカミングアウトに逡巡するある登場人物が「親に孫の顔を見せてあげられないのが申し訳ない」と涙するシーンがあった。
私は彼の言葉に強烈な違和感を感じた。違和感の正体は、「別にお前がヘテロセクシュアルであったとしても、子を産むのはお前ではないのだから孫の顔を見せてあげられる理由はないのでは?」というものだと思う。産む存在が透明化されて、家父長制を維持する機能として扱われているように感じ、これが疑問を持たれないまま「優しい息子」としてだけ語られるのはよくないと思った。
でもこういう気持ちを持つ人のことも想像はできる。私は年若い彼の価値観を糾弾したいのではなく、クリシェやめろと言いたいだけ。私には、たったひとりの親に拒絶されるかもしれないという二十歳そこそこの人が持つ恐怖を、手垢のついた言葉で雑にラベリングしているように見えた。自分の痛みや恐怖を耳障りのいいクリシェでまとめるのではなく、誰にも共感されなくても自分の言葉で語ってほしいと思った。
